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■ 「ミニネタ」の定義
@ ミニネタとは、短い時間(五〜十分を目安とする)で扱えて、子どもたちの興味・関心を
強く引く教材のことである。
A 教材には「問題」「文章」「教具」「(学習)活動」という四つの存在形式がある。
ミニネタでは、四つ目の「活動」を中心にして「『楽しく体験的に学ぶ』ちょっとした
仕掛け」が必要とされている。
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『理科の授業ミニネタ&コツ101 』土作彰編集/上条晴夫監修(学事出版)より
■ なぜ今ミニネタが必要なのか?
45分間の授業は、教師用指導書1冊あれば何とか流すことはできる。もっと極端な例では、教師自身の経験内の情報量だけで流すことができる。
いわば「その日暮らし」が可能な営みなのである。
ただしその代償は大きい。
お粗末な「その日暮らし」的授業では、到底子どもたちに達成感、成就感を味わわせることは出来ない。授業時間で望ましい自己表現、自己主張を出来ないと「学習」した子どもたちはどうするか?
望ましくない行動で自分たちの存在感を示そうと考えるようになる。学級は荒れ始める。荒れれば荒れるほど、子どもたちの存在感は望ましく無い方向で誇示されていくようになる。
教師が自覚的に授業を改めない限りこの悪循環は続く。全国の学級崩壊の現実の多くはこのような実態が原因であると推測される。
さて、万一幸運にも教師が改心したとする。「何とかしたい。」そう思って教師修行の門を叩く。
しかしそこに待っているのは多くの場合、「必死の修行の数年は必要」だとか「簡単に授業をする力量などつくはずがない。故にがんばれ。」といった類の「突き放し」に似た「叱咤激励」である。
冗談じゃない!必死に修行している間にも目の前には問題を抱えた学級がある。子どもたちがいる。その現実をどうするのか?
「出会えたのがあと数年後なら良かったのにね。」などと牧歌的なことを言ってごまかすのか。つまり、「教師としての力量がつくまで目の前の子どもたちは残念ながら教師の未熟さの犠牲」になってもらうのか。まさかそうではあるまい。
他の職業では研修期間やインターンなどの「試用期間」を修了しなければ第一線の現場に立つことはできない。教師だけが「未熟・丸腰」のまま第一線に送り込まれるのである。何の「武器」も持たずに「戦地」へ赴くようなものだ。。情熱だけでは何ともならない。
ではいったいどうすればいいのか?
そこでミニネタの登場である。ミニネタならあまり多くの労力はいらない。ほんの少しの工夫で日々の授業を魅力的なものにすることができる。1年間の授業、学級経営に見通しがつくようになる。余裕が出来る。その余裕を利用して真剣に骨太な教師修行をすればよい。根本を鍛え直せばよい。時間が、年月が過ぎる毎に教師の力量は総体的に高まっていく。
また、ミニネタ授業とはいわば「脱線授業」である。「脱線授業」には子どもを惹きつける魅力がある。
読者の皆さんに問う。小学校時代、担任の先生の行った授業で、一番印象的なものはどんな内容であったか。
教科書教材の音読?ドリルの反復?確かにそのような記憶もあるにはあるだろう。
しかし、圧倒的にその記憶の多くは「脱線」した内容であったはずだ。
教えなくても一向に構わない授業内容・・・。算数なら魔法陣やパズルゲーム。国語なら難読漢字クイズ。社会なら、先生の学生時代の自炊生活での困った現実。理科なら、ロケットがなぜ飛ぶかの原理・・・。また、教科書には載っていないのに、先生が教えてくれた「裏技」で難しい問題が一発で理解できた!面白い記憶法で俄然やる気が湧いてきた!どれもこれも教科書という本筋から外れた内容である。
しかし、だからこそ、その「つまらない」教科書=本筋の授業を学ぶ意味が何となく分かったような気になる・・・。「授業はつまらねえけど、先生の雑談には付き合ってみようか。何かいいことありそうだしな。」という気になる。
ミニネタ授業には「脱線」授業ならではの魅力があると言っていい。 |
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